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並木道をバックに微笑む研究員

母国を離れてひとり 巡りあった研究と人生金 水縁 KIM Sooyeon

2022年5月27日

金水縁さんの研究室は京都大学アイセムスの建物の中にある。金さんに案内してもらって入った実験室は、人間の入るスペースはほとんどない。この部屋の主役は、金さんの実験のパートナーである最先端の顕微鏡だからだ。アクリルの板に取り囲まれている顕微鏡の姿は、一見すると現代美術の展示のようだ。黒い実験台の上には、光を調整するための機器がいくつも置かれ、まるで白雪姫を取り囲む気ままな小人のように金さんを見守っていた。

プロフィール
韓国ソウル出身。(韓国)漢陽大学校 化学工学科を卒業し、2015年に大阪大学工学研究科応用化学専攻で博士号取得。同大産業科学研究所特任助教、理化学研究所基礎科学特別研究員を経て、2022年よりBDR細胞システム制御学研究チーム 研究員と京都大学アイセムス(高等研究院 物質-細胞統合システム拠点)客員研究員を兼務。

免震台の上に据えられた顕微鏡の部品

人生の転機となった海外留学

生まれ育った韓国を離れ、日本で暮らし、結婚や出産を経てきた金さんは、ライフステージの節目ごとに、研究を続ける方法を試行錯誤してきた。最初に、金さんの人生を知りたくて、なぜ今の進路を選んだのかを聞いてみた。

「高校生までは、国語や英語のような語学を学ぶのが好きでした。言語によって表現の違いがあるのが面白くて。でも、化学にも興味がありました。分子レベルで物事の仕組みを理解できるところが魅力的だったんです。文系か理系か、どちらの進路に進むべきか迷ったのですが、化学工学を専攻した父が、理系の進路を勧めてくれました。英語ももちろん大切だけど、やはり自分なりの専門的な技術を身につけておいた方がいいというアドバイスをくれたのです。また、化学を専攻すれば、化粧品会社や製薬会社のような女性が比較的多い会社に就職できます。働きやすさという観点からもおすすめだと言われて、工学部の化学工学科に入学しました」

将来のことを考えて選んだ進路だったが、当時の金さんには研究者になりたいという明確なビジョンはなかった。身近に大学院に行った人がいなかったため、研究者がどういう仕事なのか、イメージが浮かばなかったのだ。金さんにアドバイスをした父親も、化学系の会社を経営していたが、研究の経験はなかった。

「研究者がどういうふうに仕事をしているのか、そのときはまったく想像できませんでした。それでも、大学院の博士課程まで行くことは決めていました。せっかく大学で学ぶからには、専門家と言えるくらいには勉強したいという気持ちでいたのです」

理系の進路に進んでも、金さんの語学に対する興味が失われなかった。大学に入った金さんは、2年生のときに語学研修でイギリスへ行った。1年間英語を学んで帰ってきた金さんは、またすぐに海外へ出ることになる。今度は、日本の大阪大学産業科学研究所(産研)に学部生インターンとして行くことを決めたのだ。

なぜ、インターン先として日本を選んだのだろうか。

「英語圏の雰囲気は十分楽しんだので、今度は英語圏ではないところ行ってみようという軽い気持ちでした。日本語はほとんど話せなかったのですが、研究室の中は英語が通じるから心配はしなくていいと受け入れ先の先生に言われて、それを信じて飛びこみました」

このとき日本で研究できたのは、冬休みの間のたった2か月だ。だが、この経験が金さんの進路に大きく影響した。

「産研では、DNAを利用したバイオ分析法の研究に参加させていただきました。遺伝情報をつかさどるDNAの中を電荷が移動していくことや、それを分析法に利用できることをそのとき初めて知ったため、とても新鮮で面白く感じました。大学院をインターン先だった日本の研究室にするか、韓国の大学院に進むか、最後まで悩みました。最終的には、研究内容の面白さを優先して産研を選びました」

笑顔でインタビューに答える研究員

学部を出て海外の研究室に行く意味

日本では、大学院に進学するときに海外の研究室を選ぶ人はめずらしい。博士号を取得してから、ポスドクとして渡航するのが一般的だ。学部を卒業したばかりの、まだ何の専門性も身についていないときに、海外に行くのは勇気がいる。もしかして、韓国では海外の大学院へ行くのは一般的なのだろうかと思って疑問をぶつけてみると、「学部で行く人も周りにいましたが、やはり博士号を取ってからポスドクとして行く人が多いかもしれません」と金さんは答えてくれた。

「二十代前半の、まだ自分が確立していない柔軟な時期に、まったく違う文化と言語の中に飛び込んで、新しいチャレンジをしてみたことは、私にとって人生を大きく変える貴重な経験になりました。もし、この記事を読んでいる方の中に、高校生や学部の学生さんがいたら、若いうちに、これまで馴染んできたものから離れて、新たな体験をしてみることをおすすめします。具体的に何の役に立つとは言えませんが、違う価値観に触れることで、自分の新しい可能性も見えてくるかもしれません。わたし自身、自分がこんなふうに海外に出て研究をしているなんて、想像もしていませんでしたが、勇気を出して行動してよかったと思っています」

ただし、若いうちに海外に出たからこその、苦労もあった。

「韓国にいたときは、昔ながらの友達と会ってご飯を食べたり、家に帰って両親と話したりして、ストレスを解消できていましたが、それができなくなりました。悩みがあるときもすぐに会えないのがとてもつらかったです。日本に来る前は、日本と韓国は近いから、いつでも帰ることができると軽く考えていました。でも、落ち込むことがあるたびに飛行機に乗って帰るわけにはいきませんしね」

これまでの生活から切り離されて孤独になった。だが、それは研究においてはプラスに働いたと金さんは話す。

「土曜日はもちろん、必要であれば日曜日も研究室に来て実験をしていました。時には徹夜をすることもありました。もちろん研究が面白かったからそんなことができたのですが、日本に来たばかりで仲のいい友人もいなかったことも関係しています。研究に集中するしかなかったのです。ポスドクで日本に来ていたら、結婚して家族を連れてきていたかもしれません。その場合は、ここまでストイックになれなかったでしょう。研究だけに専念できることも、大学院から海外のラボに行くメリットだと思います」

研究面では、どのような苦労があったのだろうか。

「大変なこともたくさんあったのですが、それを解決したときの爽快感や達成感の方が大きくて、当時はそれほど苦労を感じていませんでした。実験がうまくいかないことがあっても、とにかく努力で、ストイックに1つ1つ乗り越えていきました」

笑顔で応える研究員の横顔

研究者として新たな環境へ

研究の楽しさにどっぷりはまった金さんは、研究者として生きていくことにもう迷いはなかった。博士課程を修了した金さんは、同じ研究室で特任助教を務めることになった。任期の2年目に同じ研究室出身の人と結婚した。そして金さんは、新婚早々、慌ただしく就職活動をすることになる。結婚した年が特任助教の任期の最後の年だったからだ。金さんの夫は大阪で仕事をしているため、関西で研究できるポジションを探した。

候補として思い浮かんだのは、理研の大阪キャンパスにある谷口雄一チームリーダーの研究室だった。以前から金さんは谷口さんがおこなっている顕微鏡技術を使った分子レベルの生命科学研究に惹かれていた。理研の一般公開に参加した際に話したこともあったため、金さんは谷口さんに連絡をし、研究チームに参加したいことを伝えた。そして、谷口さんがチームリーダーを務める細胞システム制御学研究チームの基礎科学特別研究員(※)として採用された。

金さんが理研に来て最初に印象に残ったのは、外国人に対するサポートが手厚いことだった。その一例が、事務連絡だ。メールは必ず英語と日本語の両方で来るし、館内の放送も日本と英語の両方でアナウンスされる。

「大学だと、研究室では英語が通じても事務室では日本語が必要なところが多いと思います。そうなると、事務手続きをするたびに、日本人の同僚にサポートしてもらわないといけません。でも、理研は英語でのサポートがしっかりしていました。日本語を話せないままでも、問題なく生活できそうだと思いました」

ほかにも大学との違いがあった。それは、研究所内の研究分野の多様性だ。

「大学だと学部ごとにわかれていますが、理研は大きなテーマのもとに、いろんな背景を持っている研究者が集まって異分野が混ざり合っています。その多様性が理研の面白さです。セミナーもたくさん開催されて、専門とは違う分野を勉強する機会も豊富です。他の研究者に声をかけやすく、コラボレーションも生まれやすい環境だと思います」

  • 基礎科学特別研究員…理研の公募制度によって登用される創造性、独創性に富んだ若手研究者で、所属長の支援を受けながら、自らが希望する研究課題を自主的に推進することができる。
顕微鏡のそばに座る研究員

子育てと研究のバランス

2020年に谷口さんが京都大学と兼任になったため、金さんも大阪の理研から京都大学へ職場を移すことになった。さらに、同じ年に金さんは一人目の子どもを出産した。現在は、子育てをしながら働く方法を試行錯誤中だ。

「結婚する前は、徹夜をしたり週末も実験をしたりという生活でしたが、今はそれができません。使える時間と体力が少なくなっています。実験をどうしたらもうちょっと自動化できるかということや、分担制をどのように作っていくかなどを考えて、新しい働き方を模索しています。また、理研に通っていたときは保育園の送り迎えもしていましたが、ラボが京大に移ってからは保育園に迎えに行く時間には帰れなくなりました。今は夫の母にお願いしています」

子どもを産む前に知っておきたかったことがたくさんあった、と金さんは言います。事前にわかっていれば、妊娠中に研究の体制を整えることもできたかもしれないからだ。

「ですから、今度は私が経験をシェアできたらいいなと思っています。理研には比較的若い研究者が多く働いています。20代後半から40代くらいは、結婚や出産などのライフイベントも重なる年代です。研究者としてパフォーマンスを出さなくてはいけない時期に、ライフイベントとどう両立させるかをシェアしあえる場があればいいですよね。そして、研究者の働き方のロールモデルのようなものを発信できたらいいのではないかと考えています」

金さんは現在、分子を高感度に検出して分析する技術の開発を行っている。特に力を入れているのは、分子1つ1つを可視化できる「一分子蛍光顕微鏡」を用いたイメージング技術の開発だ。現在、一分子蛍光顕微鏡は研究室では使われているが、臨床の現場での実用化にはまだ至っていない。金さんは、この研究を進めることで、一般の病院で患者さんの負担が少なく簡単に検査ができる未来を思い描いている。

「この技術がより高精度になれば、さまざまな分子が混ざっている複雑な試料から目的の分子を探し出すことができます。たとえば、血液や尿などを検査して病気の原因になる分子が混ざっていないかどうかを調べて、がんや感染症などの早期診断につながります。人生一度きりですし、大きな目標を持つことにしました。いろいろな人に恩恵を与え、研究分野を進展させるような、そんな研究を成し遂げたいと思っています」

開発した顕微鏡のそばで微笑みながら立つ研究員

聞き手/文:小説家・理系ライター 寒竹泉美

取材日:2022年2月14日

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