
博士課程、どこで研究する?
世界で学んだAiyanさんが「やりたい」を軸にたどり着いた、理研という選択
2026年9月7日
大学の授業の一環で、研究の最前線で活躍する大学院生の方にインタビューを行う機会をいただきました。将来の進路を考える上で、「大学院生は普段どのような生活を送り、どのような思いで研究に向き合っているのか」という実態を知りたいと思いました。今回お話を伺ったAiyanさんは、香港やイギリスなどで育ち、オックスフォード大学をはじめとする世界のトップ大学を渡り歩いてきたという、非常にグローバルで目を引く経歴の持ち主です。そんな彼女が、なぜ日本の博士課程を自身の研究拠点として選んだのでしょうか。本記事では、Aiyanさんが挑む「細胞の運命決定」という最先端の研究内容はもちろんのこと、普段はなかなか知ることのできない理研でのリアルな大学院生活や、研究者としての将来の展望について詳しく迫りました。
聞き手・文:塩﨑友奈、西村風花(大阪教育大学教育学部教育協働学科2年)
答える人

Aiyan Yau(あいやん・やう)
- 京都大学大学院生命科学研究科 博士課程
- 理化学研究所BDR 定量的細胞運命決定研究チーム 理研スチューデント・リサーチャーD
イギリス生まれ。5歳から13歳まで香港で暮らし、中学3年生の時にイギリスに戻る。その後、エジンバラ大学、グラスゴー大学で学び、オックスフォード大学大学院で修士課程を修了。2023年に来日し、京都大学大学院博士課程に入学。
研究のきっかけ、日本への関心
Q. まず、Aiyanさんが医療や研究の世界に興味を持ったきっかけについて教えてください。
Aiyan Yau(以下、Aiyan):きっかけは、小学生時代に経験した2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の世界的流行でした。幼いながらも強い衝撃を受け、そのころから医療に関心を持つようになりました。ただ、人の命を直接自分の手で救ったり、血を見たりするような「臨床医」の仕事は自分には向いていないと感じていました。そこで、基礎研究やデータ分析という側面から医療に貢献できる「研究者」の道を志すようになりました。
Q. これまで、世界の様々な名門大学で学ばれていますが、どのような変遷があったのでしょうか?
Aiyan:学部の途中で、化学から生物へと分野をシフトしました。最初は化学を学んでいたのですが、だんだん生物への興味が強くなり、思い切って学ぶ環境も変えて分子細胞生物学を選び直したんです。大学選びの基準も少しずつ変わってきて、修士課程までは大学の環境や設備を重視していましたが、博士課程では「どの教授のもとで、どの研究テーマや技術を学ぶか」を最優先するようになりました。
研究テーマも変遷しており、イギリスの大学でインターンをしていた時は「がんの微小環境(がん細胞と免疫システムがどう相互作用するか)」を学び、修士課程ではすい臓がん患者の治療法選択のためのデータ解析をメインに行っていました。そして現在は、「定量的多重染色」を用いた細胞周期の研究を行っています。
Q.日本語を学ぶことになったきっかけなどはありますか?
Aiyan:香港には日本の文化にふれる機会がたくさんあって、香港にいた時から日本は身近な存在でした。 そのような環境の中で、特に日本に興味を持ったきっかけは、ジブリ映画をはじめとする日本の映画やTVドラマなどです。日本語については、来日前から音楽や様々な映像作品を通じて自分で勉強をしていました。修士時代には日本人の留学生から教わる機会もありました。来日後には日本語学校にも1年半通い、JLPT(日本語能力試験)のN1(最も難しいレベル)も取得しています。日本語学校に通ったのは、日本の環境が自分に合うかを確かめる意図もありました。
日本、理研という選択
Q. 香港やイギリスで学ばれてきた中で、日本を博士課程の拠点に選んだのはなぜですか?
Aiyan: 幼い頃からの文化的な興味に加えて、研究の道に進んでからも日本とのつながりがありました。実は大学のインターン先の先生が日本人だった縁もあり、本来は2020年に来日する予定だったのですが、新型コロナウイルスの影響で延期になってしまいました。
最終的に日本の京都大学、そして理化学研究所を拠点に選んだ最大の理由は、現在の指導教官である小長谷先生がいらっしゃったからです。
小長谷研(定量的細胞運命決定研究チーム、小長谷有美チームディレクター)ではデータ分析や顕微鏡技術を重視していることに加え、理研にはマウス実験の設備が整っていること、さらに、まだ、それほど普及していないオルガノイド実験もできる環境であることが大きな決め手でした。
実はイギリスでは、学生は動物実験を「見るだけ」で直接手を動かすことができませんでした。だからこそ、動物の管理やオルガノイドの培養ができ、さらに多重染色撮影、画像解析、データ分析まで学べる小長谷研は、自分が研究者として成長するのに最適な場所だと感じました。
Q. 大学でのキャンパスライフと比べて、理研での大学院生活にはどのようなメリットがありますか?
Aiyan: とにかくインターナショナルな点です。留学生も多く、小長谷研のラボミーティングも基本的に英語で行われます。また、他の研究室や様々な国の研究者との交流が盛んで、研究員同士で勉強会やセミナーを開催したり、技術的な相談を気軽にできたりするのも大きな魅力です。コロナ以降学生がまた増えてきたことで、学生の会や送別会なども開かれていて、学生同士の横のつながりが強くなりつつあります。
Q. では、実際に日本で研究してみて、環境の違いや、それによる苦労はありましたか?
Aiyan: 研究環境における日本と海外の違いで苦労したのは、コミュニケーションの取り方や、大学の授業であまり英語が使われない点です。また、日本はアナログな紙での提出や手続きが多く、デジタル化があまり進んでいないため、留学生にとっては手続きが難しいと感じる場面もありました。
Q. 異国の地である日本で働く上で、Aiyanさんが大切にしている価値観は何ですか?
Aiyan: 「その国の文化を理解し、違いを受け入れること」の重要性を感じています。理研はまさにそういう場所で、個々が尊重されていると感じられる環境です。異なるバックグラウンドを持つ人たちと働くことで、お互いに意見交換ができており、非常に勉強になっていると感じます。
理研での生活
Q. 日々の理研でのスケジュールについて教えてください。
Aiyan: 平日は10時から16時をコアタイムとして、ほぼ理研にいて研究に打ち込んでいます。小長谷研では毎週ラボミーティングがあって、2週間に一回発表があります。そこで経過報告を行っていますね。研究室のメンバーは「細胞運命決定」や「定量」という軸は同じですが、小腸で細胞比率を見る(後述)人、シグナルや再生を見る人など少しずつテーマが違うんです。そのため、ラボミーティングは直接的な打ち合わせというよりは、自身の研究内容の報告・情報共有やディスカッションの場になっています。
Q. 研究で忙しいかと思いますが、休日はどのように過ごして息抜きをされていますか?
Aiyan: 休日は、観光をしたり、おいしいものを食べに行ったり、長電話したり、友人とのんびり過ごしたりしています。
趣味としては、幼少期から続けていた合唱団の活動を神戸でも探しているところです。また、大学時代からフィギュアスケート観戦(浅田真央さん、羽生結弦さん、中井亜美さんなど)にもハマっていて、いいリフレッシュになっています。
Q. 実験で行き詰まった時は、どのように乗り越えていますか?
Aiyan: 性格上、自分でとことん向き合って解決することがほとんどです。私はとにかく実験が好きなので、実験をやり直してデータを見直すというプロセスを、永遠に繰り返すことができるんです。ただ、理研に来てからは周囲との交流も増え、助けられることも多くなったと感じています。
現在の研究内容について
Q. 現在の研究内容について、まずその背景について教えてください。
Aiyan: 体の中で細胞が発生し、分化する過程を研究しています。私は特に「マウスの小腸上皮」の細胞に注目しています。マウスの腸管上皮は、わずか4日ほどでほとんどの細胞が入れ替わる、体の中でも特に代謝の激しい組織です。しかし、どれほど細胞が激しく入れ替わっても、小腸では各種細胞の比率が常に一定に保たれているんです。細胞が色々な役割に分かれていく、大元となる幹細胞からのシグナル(上流のメカニズム)については、すでに大部分の解明が進んでいます。しかし、分化細胞の割合を適切に保つための下流の分子メカニズム、特に細胞周期制御に関する機構は未解明のままです。私はまさに、この「細胞が激しく入れ替わる中で、なぜ各種細胞の比率が変わらないのか」という部分を解き明かそうとしています。
Q. なぜ、そのメカニズムはこれまで解明されてこなかったのでしょうか?
Aiyan: これまでの研究手法では限界があったからです。これまでは、組織内における複数の細胞種のシグナル伝達を正確に捉えることができていませんでした。例えば、組織から細胞を単離して遺伝子発現を読み取る「シングルセルRNAシーケンス」は組織をバラバラにする過程でバイアスがかかったり、培養容器で人工的に小さな臓器を育てる「オルガノイド」といった手法では、そもそも生体での細胞割合を正確に再現することが難しいうえ、「細胞の空間的な位置情報」が失われてしまったりするという課題がありました。一方で組織内のタンパク質発現を調べる免疫染色法では、質の高い抗体がウサギ由来のものに偏っているため多重染色が難しく、一細胞レベルでの定量的なデータが不足していました。
Q. 今お話に出た「多重染色」というのは、どういった技術なのでしょうか?
Aiyan: 通常の免疫染色を行って顕微鏡で細胞を観察するとき、普通はいろんなタンパク質(抗原)に同時に色をつけようとします。しかし、それでは同時に使える色は限界があり、一度に3〜4種類くらいしか見分けることができないんです。
「多重染色」というのはその限界を超えて、1つの組織の中から何十種類もの抗原を識別し、複数の細胞種を一気に見分けることができる画期的な技術のことです。腸の中には様々な種類の細胞が混在していますが、この技術のおかげで、「それぞれの細胞種」の同定と「細胞周期制御に重要な因子」の発現解析を同時に行うことが可能になりました。全体の細胞比率の謎を解明するにはこの技術が必要不可欠なんです。
Q. Aiyanさんは、この多重染色を独自のアプローチとして使っているのでしょうか?
Aiyan: そうですね。小長谷研は「Cryo-4i」という最新の多重免疫組織染色技術を使っています。これは、腸をスイスロール状にくるくると巻いて標本化し、「抗体で色をつけて顕微鏡で撮影し、その後、抗体を特殊な薬で綺麗に洗い流す」というサイクルを何度も繰り返す手法です。こうすることで、色が混ざるのを防ぎながら、クオリティの高い同種由来の抗体を使うことができ、細胞の位置情報を保ったまま一度に十種類ものデータを取得できます。
Q. この手法を使うことで、研究においてどのようなメリットがあるのでしょうか?
Aiyan: この手法の最大のメリットは、「細胞の位置情報」を完全に保ったまま、単一の組織から非常に多くの細胞データを一気に取得できることです。これにより、これまでの研究で不足していた「一細胞レベルでの定量的なデータ」が集められるようになりました。
実はこの技術、もともとは扱いやすいように人工的な環境で育てられた培養細胞向けだったものを、小長谷研の松口宗嗣(しゅうじ)特別研究員が、本物の組織である凍結切片でも使えるよう独自に改良してくれたんです。特殊な機器を必要とせず、汎用試薬のみで一度に大量のデータが取れるため、コストパフォーマンスも非常に高いという強みがあります。
これからの展望
Q. 最後に、Aiyanさんの今後のキャリア展望を教えてください。
Aiyan: 今後も研究を継続し、最終的には基礎研究の成果を実際の医療などに応用していきたいと考えています。将来どこの国で研究をするかはまだ決めていませんが、日本で研究を続ける可能性もあります。理研で研究していることで、そういった将来のイメージを持ちやすくなりました。これからも国にはこだわらず、「自分がやりたいことをやれる場所」という観点で研究拠点を選んでいきたいです。

右から塩﨑友奈、西村風花(大阪教育大学教育学部教育協働学科2年)
取材日:2026年3月24日



