研究者への道のり〜田坂 元一さんの場合〜
若き日の僕
出身地は西宮市です。今もにしきたの周辺に住んでるし、そこ出身です。(※「にしきた」は広く使われている西宮北口駅周辺の愛称のことです。)
僕は幼い時から学生の頃までずっと野球を続けていて、特にピッチャーをこよなく愛していました。逆にバッターには興味がありませんでした。投げることにしか興味がなかったんですよね(笑)でも野球をやりすぎちゃってサッカーの方が好きになりました。なので今研究以外でやりたい仕事はアトレティコ・マドリードのオーナーです。
野球のやる気を失った理由は、一度自分のベストを出し切った試合があったんですけど、それでも0-7で負けちゃって、そしたらなんかスッキリしました。こんだけやっても勝てないんだ、と思って。
他には僕は宇宙の話が好きだったので、天文学に興味がありました。中学生の頃に宇宙に関する本などを読んでいました。 天文学も好きだったけど国語も好きでした。漢文とか古文とかですかね。学生時代は国語と化学が得意でした。
しかし、高校生の時に物理が全然わかんなくなっちゃいました。物理ができない天文学者とか存在しないんで天文学者は即座に諦めました。それでも研究者という仕事には就きたいと思ってましたね。なんでかっていうと、あんまり人にやれって言われたことをするのは好きじゃなかったので、自分のしたいことだけをできる研究者は僕にとって魅力的でした。あとは、世界で働けるところも研究者のいいところだと思います。
理化学研究所に来るまで
僕は京都大学農学部の食品生物科学科というところで、食品を通した生命科学を勉強していました。そこでの生活は共同でお風呂やトイレを使う一人部屋の寮でした。寮の先輩からこれからは神経の時代だといわれて、大学院では神経細胞がどのように神経突起を伸ばしているかなどを研究していました。
その後、子供の匂いを嗅ぐと音に敏感になるという面白い研究をしていたヘブライ大学があるイスラエルに留学しました。イスラエルに行くのはちょっと迷ったんですが、もし研究者としてやっていけなくなっても一般企業の面接でイスラエルでがんばっていたと言ったら採用されるだろうと思って行きました。そして無事に日本に帰ってきてすぐ理化学研究所に就職しました。研究環境も良く給料もいいなと感じました。
イスラエルでの思い出
イスラエルでは基本的に英語をみんな喋れるので、英語で全然暮らせます。僕は英語とヘブライ語をめっちゃくちゃちょっと喋れます。ただ街中は結構大変ですね。ヘブライ語とアラビア語は似ていて兄弟みたいな関係で、右から左に書いて、アラビア語はほにゃほにゃほにゃーほにゃーって感じなんですけど、ヘブライ語はもっとブロックみたいな可愛い字で書かれているんです。けど、全く読めないので買い物とかはけっこうリスキーですよね。特に、牛乳とヨーグルトが全く同じ紙パック状態で入ってて、どっちがどっちかわからんみたいな感じで一か八かで買うみたいなのが多かったですね。アルファベットなら読めるんですが、字がアルファベットですらないのは結構きついなと思いましたけどまあなんとかなります。人はいいです。めっちゃ優しいですみんな。すごい楽しかったです。
今をゆく研究
今は脳の可塑性について研究しています。脳の可塑性とは経験や学習などにおいて脳がそれらに適応していく能力のことです。そのモデルの一つとして母親になると明らかに行動が変化する、など自然環境の中での現象が脳の一細胞レベルでどのように働いて関わり合っているのかを研究しています。
その中でも論文を書くための鍵となる結果がでた時と、新しい実験を考えて行う時が一番好きです。
基礎科学の研究は楽しくないと続けることができないですし、好きじゃないと何をしたらいいのかが出てこないので自分がどうしたいのかを優先して、その後に人の役に立てたら良いなと考えています。
僕の研究の場合、機械がとても高価なので初期費用がめっちゃかかります。去年購入した二光子顕微鏡という機械は2500万円でした。レーザーがめちゃくちゃ高いんですよね。研究機器が外国製が多いので円安で値上がりしていて、前まで800万円で買えていたレーザーが1200万。めっちゃちっちゃい顕微鏡が800万。その他諸々で2500万でした。
それはそれとして、二光子励起(にこうしれいき)って言葉はかっこいいと思います。
今の現状や目標
僕の今の目標は2つあります。まず1つは独立した立場をもつことです。主任研究者(principal investigator)になり、自分のやりたい研究を自分で資金を出してしたいなと考えています。
もう1つは自分の研究を残すこと、20年30年賞賛されるようなことをしたいです。しかし有名な研究者になりたいかと言われるとそんなことはなく、失言をしてしまうと炎上してしまうかもしれないので有名になりたいとは思いませんね。
自分では研究とは宗教みたいなものだと思っています。人々の疑問や不安を解決するのが宗教であったのが、それが研究に置き換わっただけで、ただ人の役にたてればいいなと自分は考えています。
理化学研究所に来てから結婚して子供が生まれたので、勤務時間は9時半から5時半で残業はしなくなりました。前は夜中とか土日とかも仕事してましたけど、今は子供との時間も取れるのでワークライフバランスはとても良いと思います。高市総理に怒られちゃいますね(笑)
今一番大切なものは家族です。だからこそ家族との時間を大切にできる研究者という仕事は素晴らしいと思います。
やりがい
仕事のやりがいは、論文として長きに研究成果が残ることですね。ある種の作品ですよね。研究者というのはアーティスティックな仕事の一種だと思うんですよね。漫画家であるとか、アニメーターであるとか、クリエーター系の仕事と近いと思ってます。でも一番近いのは芸人の世界だと思います!又吉さんが書いた「火花」っていう本のネットフリックス版のドラマを研究者に置き換えてもだいたい成立すると思います。多様さっていうのがとても似ていますね。
中学生の方々に伝えたいこと
「基礎を大事にして」というのはよく言われると思うんですけど、結構その通りです。今、必要ないって思う教科って山ほどあると思うんですけど、意外と続けてると見えてくるものがある。続けてると20歳、30歳ぐらいになった時「ああ、あの時こういうことだったんだな」ってなることもあるし、限界を自分でパッと見切るよりも、続けていっていろんなものを見るのもいいんじゃないかなって思います。同時に、今興味のあるものが明確にあるのなら、他を全部捨ててそれを突き詰めていってもいいかなと思いますね。もしそういうものが明確にないのなら、広く探しながらいつかそういうものに出会えたらいいんじゃないかなと思います。たぶん多くの挫折をすると思うんですけど、そういう時は「これじゃなかったんだな」と思ってまた違うことに挑戦してオンリーワンになっていくっていうのが今の人生で大切なことでアドバイスですね。
文・イラスト:神戸市立上野中学校・本山南中学校2年生
(2025年11月のトライやるウィーク期間中に企画・インタビュー・執筆を行いました)
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